日々撮り散らかし。

日々撮り散らかし、日々更新し散らかします。使用カメラはPENTAX K-1。写真は雑食、スナップ・風景・ポートレート等まさに撮り散らかし。

すり替わっていた記憶。

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最近でも近年でも線香花火をやったという人はどれだけいるだろうか?

 

俺は3日前に。

 

で、いつもやるたび思うんだけど、線香花火ってこんなにも持ちが悪かっただろうか。

 

小さい頃の時間の流れがゆっくりだったせいなのか、それとも子供の頃は近所の中学生ですら大人に見えたのと同じように、いつの間にかこの程度の火では感動しなくなってしまったのか。最近線香花火をする時は、そういう雑念が頭の中にある。

 

 

気になったので調べてみた。

 

まず線香花火が昔に比べて短く感じる件。

これ、気のせいではなかった。

最近の線香花火は海外からの輸入もので、安価な作りのため玉の持ちが悪いのだそう。そして国内では今や、たった3件でしか作っていないのだそうだ。

 

そして大事なことを思い出した。

線香花火は繊細でありながら、もっと表情が豊かで、だからこそ魅せられ儚い花火だったということを。

 

まず本来の線香花火は、火をつけると「蕾」という大きな玉をつけ、チリチリと花を咲かせる。その次に「牡丹」といって力強い火花が、弾け始める。そのあと「松葉」といって勢いを増した火花が四方に広がり、次に「散り菊」といって玉を揺らしながら、細い火花を飛ばしながら落ち着き、最後に揺れた火の玉が力を失い、その一生を終える。その一連の流れをじっとしながら見届けるのが線香花火の楽しみ方だった。

確か俺が小学校だったころ、教科書にもこれらの事が写真付きて書いてあった。

 

いつの日かそれを忘れ、当たり前の様に消費を繰り返すだけの陳腐な花火で納得してしまっていた。

 

いつの間にすり替えられていたのだろうか。

そしてこの本来の線香花火を知っている人たちはどれだけ居るのだろうか。

 

今の子達がこの線香花火を知らないというのはちょっと寂しい。

 

 

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おまけ。