先日フォトブックを作ったんだけど、それとは別にちゃんと写真集とよべるようなものも進行している。
ただブログのタイトル通り、日々散らかしてるんだけど、写真がストックされているパソコンの中身は本当に散らかっていて、いざ画面に向き合うと写真の整理や、過去の見返しばかりで一向に進まない。
昨日ようやく今年撮った分は見返した。さほど撮りに出かけてる訳でもないくせに枚数だけは異様に多い。撮影してパソコンに取り込む段階で、入れるものと残すものをバンバン振り分けているんだけど、改めて振り返るとさらに不要なものも当然沢山あってそれらの断捨離をしまくっている。
なんて事をやってしまい、全く進まないのだ。
そして時間が経って客観的に過去の写真を見た時に、この写真いいななんて思って現像しちゃったりするから更にたちが悪い。
大掃除の時押し入れの中身をひっくり返して、出てきたアルバムを見始め、一向に進まないやつの現代超大量版だ。
下の写真は、6年前。
震災後、自粛ムード真っ只中で俺自身も仕事で思いっきり被害を被ったんだけど、その世の中のどんよりとした空気が嫌で、こっそり京都に遊びにいった時のもの。
それを掘り出し先日現像した。
イチ作品としての写真もいいけど、写真ってやっぱり思い出として残してあるべきだなとも最近改めて思う。
なんて次元が飛びそうなくらい違う方向に進むので、写真集が進まないのだ。
結構前から進めていて、過去にも一度書いたことがあるんだけど、こんなやつ。
※白ベースなのでグレーの網を周りにひいてます。
「役目を終えてなお、時の経過と共に新たな趣きを放つモノたちに魅了される。そんな出会いの写真集。」
以前からこういうものを好んで撮ってたりはするんだけど、こんなコンセプト故に、撮りに行こうと思って出会う訳でもなく、偶発的に巡り合うもんだから現状ページ数的に足りているかどうかも分からない。だからパソコンをほじくり返すんだけどすぐに違う方向に… の繰り返し。
ちなみにフォトブックと写真集の違いはなんだろうか?
英訳すると写真集がフォトブックなんだけど、世に出回っている写真集とフォトブックをみると、しっかりと写真だけが集められた本が写真集で、文章等も添えられた手軽な形態のものがフォトブックという感じだろうか。散々写真集を出しているタレントがファーストフォトブックたるものを出版するから尚更ややこしい。
そして自分ら素人は当然出版する事もないので、さらに線引がややこしいんだけど、俺的にはそのハードに対するお金(形態や紙質)、時間(誌面に対するレイアウト、選定)のかけ具合がフォトブックと写真集の違いなのかなって思ってる。
なんて写真だけにとどまらず、色々書きなぐり文章まで散らかした穏やかな春の昼前。さて仕事をしよう。