昨日に続き永山団地。
この地区の最初の入居は1971年だそうだ。
今でこそこの界隈には京王と小田急に永山という駅があるが、その時点では最寄りに駅はなく2km以上先の聖蹟桜ヶ丘などの駅まで路線バスやタクシーで移動していたらしい。それから3年後、ようやく小田急が永山駅までを開通させた。
ようするにそんな不便な場所であっても開発を急ぐくらいに当時は住宅が不足していたのかなとか思う。ただ事態は1974年のオイルショックで一変する。高度経済成長はそこで終焉し住宅需要は一気に落ち込み、販売不振に陥ったのだとか。
そういった社会情勢の変化の中、多摩ニュータウンは住宅不足解消から理想的な都市づくりへとシフトし、今の形へ形成されていく。今回調べて知ったんだけど、多摩センターっていう駅は多摩市の中心的駅だと思っていたけど、多摩ニュータウンの中心地って意味合いだったらしく、自立都市としての業務施設などを含む、都市センターの役割から来ているようだ。
俺は団地好きをうたうわりには、ただ雰囲気を好んでいるだけなのと、さらには多摩ニュータウンのような近代団地はどちらかというと興味の範囲外ということもあり、今回調べてみて色々な発見があった。
そもそも多摩ニュータウンと言われる場所がどこの事を指しているのかもよく分かってなくて、実際にその辺りへ足を運んでみると、団地が多いとは思うもののそのエリア一帯全てがニュータウンだとは思っていなかった。実際のところ京王線でいうと稲城駅北側から始まり橋本手前の多摩境駅までの全てが多摩ニュータウン。今までさんざんその界隈には行っていて、それを知って手の平の上で踊らされる猿の気持ちになった。
とまぁ、自分でもそんなに掘り下げるつもりはなかった多摩ニュータウンなんだけど、そういう歴史でも掘り下げてみるとちょっと楽しいものだ。とはいえやっぱり自分が団地に見せられるのは、昭和の原風景的なそれであって、多摩ニュータウン自体にワクワクするわけではない。