このブログでも時折取り上げる純喫茶。
アップ頻度こそ多くはないが、立ち寄る頻度はそこそこ多く理由はいくつかある。
まずひとつは、自分が喫煙者だということ。
今街に蔓延るカフェという名の洒落た場所と区別されるこの純喫茶とは、
昭和の香りそのままに今でも喫煙可能な場所が大半である。
もう一つは、知らない街の散歩&スナップが好きだから。
散歩をし、写真を撮る。この行為には休憩がつきものだ。
そうすると必然的に純喫茶率は高まる。
そして最後に上げたい理由。
扉の先が未知だからだ。一番この理由がでかい。
開けてみないと分からない世界観が純喫茶にはあって、
ざっくり純喫茶という雰囲気はイメージできるものの、
そこの個性はオーナーの個性そのものだ。
最近本当に思うのは、純喫茶とは出会いである。
ハズレも多く、開けてみないと分からないからこそ、
その扉を開けるという行為に心が踊るというものだ。