先週のブログのコメント欄で青空百景さんが書き込んでくれたコメントに対し、現存家屋の40年後ってどうなっているのかなんて勝手に想像してたんだけど、この写真を見て腹落ちした。
ちょっと大げさかもしれないけど、所有者を無くした建物が散在するような時代が来たらこんな感じなのかもしれない。
植物の生命力に感心することはよくあるけど、こういうのは見るに堪えない。
わが町の駅前はこんな感じだ。
正確には駅を降りた景色って言うわけではないけど駅前の建物。
ずっと残っていて欲しいって心から思っていたりする。
何かに付けて初とつけたくなるのは、まだ正月気分が抜けていないという現れだと思う。
それにしても、ずっと晴れ。
拝殿って分かるかな?
神社で拝むために本殿の前に建てられてる所。
鳥居からその拝殿までに階段が伸びていると途端に趣きを感じるのはなぜだろう。
ここ何年か、そこまで外出していないせいか、なんか久しぶりにイルミネーション的なのを見た気がする。(地元にしょっぱいのはあるけども)
それほど灯している場所でもなかったけど、灯りに免疫がなくなっているせいか、なかなか眩しく感じた。
少しずつ戻ってきているのかな。世の中が。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
今年一年お疲れさまでした。
俺はと言うと最後に家掃除を勤しんでおります。
それでは良いお年を!
どこだったかな。寺尾台って。
塀に花に空き缶に。
散歩してて見かけた高級パン屋さん。
『スターの昼寝』
俺の知ってるスターはこんな感じではない。
俺の知ってる高級もこんな感じではない。
美味しいかどうかは分からないけど。
ふと脇道に目をやると細くて長い階段が伸びていた。
そしてその階段の先には、通り抜け禁止の看板が。
(この縮小写真では確認できないけど、非圧縮画像で見つけた)
この階段を見つけた時真っ先に思ったことは、この階段を行き来する上の家の人の大変さだ。それなのに、通り抜けようと登ってしまう好き者もいるのだろうか?
絶対に用事がないと登らないし、ここを登るような用事は作りたくないな、俺は。
年を取るとなぜ植物に目が行くようになるんだろう。
俺も例外ではない。
でもそのことに対し、俺は一つの答えを持っている。
それは撮るものがなく、そこに花があるからだ。
でも庭を持つようになってから、確実に興味が増したのは事実。
毎年書いている気がするけど(書いてないかもだけど)、俺はクリスマスが好き。
浮かれている人々も、街の賑やかさも、そのときだけ食べれるチキンも。
今年は一度しかチキンが食べれなかったのが残念。
今日からは急に正月飾りが店に並ぶよね。
それも結構好き。
服を洗うという行為に光の量は関係ない。
ここのコインランドリーは自分の知る限りで、最も暗かった。
でも誰もいないと思って入ってここに先約がいたらちょっとびっくりするよね。