作り込んだ撮影(スタジオ等)でもしない限り、写真とは常に環境に左右される。
天候や気温、そこにいる人や物。
例えば富士山にかかる夕陽が撮りたくて何度も通う人がいるとして、たまたま通りかかってそこに立ち会えるものもいる。そういうものは運の要素が強い。時には忍耐。
そしてその富士山の周りに鳥が飛んでいたとして、それを良しとしおさめるのか、去るまで待つのか、それが感性の部分なんだと思う。
それに対し、鳥がいて良かった、いやいない方が良かったは受け手の好みだ。
自分の場合は、面倒くさがりな性格からか全てを運に委ねる。
何かを求めるというよりはそこにあるものを切り取りたい(面倒だから…)。
なので非常に運の要素が強く、その中で可能性を探る。
今日の写真は、運良く(たまたま)少女たちがシーソーしながら遊んでいた時のもの。
顔も分からず個人を特定出来るものでもなさそうだったので、サッと切り取り声もかけず立ち去った。
絶妙に平行な部分にシュールさを感じ、結構気に入っている。